一月は往ぬる 二月が逃げる 三月は去る
…気が付くと、二月も終わりになってしまいました。
新型コロナウイルスのオミクロン株の蔓延や寒暖差の激しい毎日で、
身体をいたわりながら過ごす毎日です。
「一月は往ぬる 二月は逃げる 三月は去る」
…と言う言葉をふと思い出します。
年明け…一月から三月までは行事が多く、この時期は毎日毎日が忙しく感じ、あっという間に過ぎてしまいます。
待ちに待った北京冬季オリンピックは終了し、来月は冬季パラリンピックの開催です。
なるほど。
一月はもう行ってしまい、二月は懸命に逃げている最中です。
そして三月は去ってしまうのでしょうか…。時間は宝物ですね。
地球の公転は、どの国のどの人々にも、平等に確実に時の移ろいをもたらせます。
東欧では、地球の秩序や均衡が変わるような衝突が起こりました。
ことわざ通りに受け止めるのならば、三月はあっという間に去り、春が訪れます。
命を動かす細胞が一気に目を覚まし、生きるエネルギーが芽吹く季節がやってきます。
三月と一緒に負の出来事は去り、できることなら、平和のエネルギーが開花する春がやって来ることを祈っています。
郷土の偉人
新型コロナウイルス第5波の緊急事態宣言が解除されたので、つい先日、ほぼ2年半ぶりに里帰りしました。
新幹線で2時間、新大阪始発のこだま号の自由席でのんびり帰るという定番の帰省でした。緊急事態宣言の余波も続いているためか、土日の乗車でもかなり空席があり、本当に静かな車内でした。
下車駅は浜松ですが、16年ほど前に市町村合併で浜松市に統合された遠州平野の北部にある町が私の故郷です。
この地域は、天竜川が信州諏訪湖から出発し、木曽と赤石の両山脈と別れを告げて、太平洋に向かって一気に平野へ流れ出す場所に位置しています。
まだまだコロナ禍ではありますが、風景はほとんど変わらず、相変わらず静かな時間がそこにはありました。
そんな田舎の町ですが、郷土の偉人に「本田宗一郎さん」がいらっしゃいます。
本田宗一郎さんは私の母校の小学校(現:二俣小学校、旧:二俣尋常高等小学校)ご出身で、偉大な先輩です。
母校の小学校の裏手の山に、清瀧寺(せいりゅうじ:徳川家康の長男・信康の菩提寺でもあります)と言うお寺があります。お寺には地域に時を告げるための鐘があり、毎日、規則正しく鐘の音が聞こえていました。
この鐘と本田宗一郎さんにまつわる「早弁伝説」という話が母校にはあります。
本田宗一郎さんは子ども時代から、随分とやんちゃな少年だった様です。
お腹が空きすぎて、お昼まで待てない本田さんは、こっそり小学校を抜け出して、いつもより30分早くお寺の鐘を突き、見事に「早弁」を成功させたそうです。
15年ほど前から毎年、時の記念日が来ると、母校の小学校では、その年度の新一年生が「早弁伝説」の再現行事をします。
正午少し前、新一年生代表が鐘を突き、児童全員でおにぎりを食べます。子どもたちは、なんとものどかで、楽しい時間を過ごすことでしょう。
清瀧寺の隣には「本田宗一郎ものづくり伝承館」があります。
「世界のHONDA」の創業者ですので、さぞ近代的で大きな建物かと想像されるかと思いますが、それは全く違います。旧二俣町役場(国登録有形文化財)の古い建物を利用した、思った以上に小さな記念館です。
ですが、館内は本田宗一郎さんの歴史そのものです。遺品をはじめ、直筆のデッサン画や「ホンダスーパーカブ」の現物、歴代のオートバイの展示は、「HONDA」をリスペクトしている皆さまには宝庫だと思います(入口では、HONDAのアシモがお出迎えをしてくれます)。
今回、私も時間を作って久しぶりに行ってみました。
特に今の季節、秋の静かな頃。
伝承館の中に差し込む太陽の光のぬくもりが、とても優しく感じられます。
秋の気配
夏の終わりと、秋の気配が感じられます。
東京2020オリンピック・パラリンピックの華やかさと、雨が多い夏、そしてコロナ禍。この夏の様々な記憶がありますが、季節はあっという間に過ぎて行ってしまった様に感じるのはなぜでしょうか。
もう暦は10月に入ります。紅葉の季節を迎えます。
秋になると、毎年決まって淋しいと言いますか、もの悲しい気分になる皆さまも多いのではないでしょうか。
季節に対するイメージもそうですが、秋になると徐々に気温が低下したり、日が短くなったり、植物も落葉してきたり…と、物理的な変化も感じます。
例えば、夏の夕暮れ時と秋の夕暮れ時。同じ夕暮れでも、全く違う感覚を覚える方が多いかと思います。
夏から秋、秋から冬に近づくこと…その環境の変化がより一層、気持ちを淋しくさせてしまう一つと言えるでしょう。
では、人の体そのものや内面(心)はどうでしょうか。
我々の体内には、脳内にセロトニンという神経伝達物質があります。皆さまも、どこかで聞いたことがあるかと思います。
セロトニンは別名「幸福ホルモン」と呼ばれており、体内時計と共に日中、太陽の光を浴びて活動すると多く分泌するそうです。
日照時間の変化によって、夏と比べて太陽の光の下での活動時間も減少するため、セロトニンも分泌されにくくなり、この季節の変わり目に、淋しさを感じる一つの原因であることも事実だと思います。
あともう一つ、秋を淋しく感じる原因に、私は人の無意識の記憶や体験などもあるのでは…と思います。「何かが変わる」「何かが終わる」という不安と言いましょうか。
例えば、「友達と楽しく遊んでいたのに帰る時間になってしまった」「楽しい休日がもうすぐ終わってしまう」…などです。
夏の楽しい時間が終わり、冬の支度が始まる…。この季節はそう言った無意識の記憶が呼び起されることが多いのかも知れません。
季節を感じる人の感性は、とても繊細で奥が深いです。
そして、次の季節の訪れを楽しみに待つことができるのもまた、人ならではだと思います。
そんな風に思うと、この季節のもの淋しさを十分に満喫することも、実は必要な事なのではないでしょうか。
急性内斜視のこと
オリンピックが終わり、お盆休みも終わりました。
暑い毎日が続くかと思っていましたが、今年は雨が多い夏です。
ほぼ半月、降り続く雨で大きな被害が各地で起こっています。
コロナ禍とも重なり、大きな移動もなく過ごした夏休みでした。
が、日々増加する新規感染者の数とこの不安定な気象…心が痛みます。
先日のお盆休みのテレビ番組で、小さく短い報道でしたが、「急性内斜視」の子ども達が増加しているそうです。
特に、小学生・中学生の子ども達に多く、それは若年層にまで及んでいるそうです。
この現象は、新型コロナウイルスの流行前と比べて、実に3倍との事です。
「内斜視」とは、左右の眼のどちらかの視線が内側に向かっている状態です。
この「内斜視」という言葉は、私の幼児教育の現場経験から申しますと、子どもの発育過程で起こる「乳児(先天)内斜視」がまず頭に浮かびます。
ですが「急性内斜視」とは、年長児以降に(後天的に)突然発症する内斜視の一つであります。
症状の多くは眼球を外に動かす筋肉が動かなくなり、眼が内側に寄ってしまいます。
こうなった場合、物が二重に見える「複視」が訴えの多くを占めるそうです。
原因としては、スマートフォンやPCの画面を見る時間の増加、遠くのものを見る機会の減少、ストレスなどが挙げられています。
オンラインでの学校授業、運動や外遊びの減少。外出の自粛から、友達との約束も思うようにできません。
非常に閉塞した時間を持て余しながら、今は生活を送らざるを得ない状況です。
…命を守るために必要なことと、理解はしていますが。
新型コロナの流行による社会の混乱から、今、常識が一変してしまいました。
この変化が子どもたちの発育や発達、心の成長に大きな影響を及ぼしているのです。
夏の青空と白い入道雲を見上げる瞳、夏の花や虫たちを見つけ出す眼、一緒に遊ぶ友達を見つめる眼差し。
本来、子ども達の眼は、そういう思い出を遠い記憶として残すために必要なのです。
来年は子どもたちに、青い空と太陽、外に出られる喜びの夏が戻る事を願うばかりです。
馬場馬術(オリンピックが始まりました)
東京2020オリンピックが始まりました。
新型コロナウイルスの影響で1年の延期を経て、かつコロナ禍での開催です。
無観客の中でテレビ中継を通しての観戦ですが、画面の向こうの選手のみなさんの活躍に、感動を覚えている方も少なからず、いらっしゃるのではないでしょうか。
今回のオリンピックより、スケードボードやサーフィンなど、新たに4競技が追加され、スポーツの新時代の到来の予感も感じます。
オリンピックは世界のスポーツの祭典で、華やかな競技が目立ちますが、馬術競技という競技をご存知でしょうか。
障害馬術・馬場馬術・総合馬術の3種目からなるこの馬術競技は、1900年の第2回パリ大会から正式種目となった、オリンピックの歴史の中でも大変古く伝統的な競技でもあります。
オリンピック競技の中で、唯一、動物と人が一緒に出場します。
……先日(ほとんど初めてですが)、中継を観ました。
どうして馬があのように、正確で優雅な動きができるのだろう…。
ステップを覚えているかのように、音楽に合わせて動く姿に感動しました。
馬と人の呼吸も心臓の鼓動も、すべて一体となって演技をしているように、
私には見えました。
馬術は人と馬の信頼関係があってこそ成り立つ競技と言われます。
人が馬を尊重し、馬がそれに応える。
IOCが唱えるオリンピックの価値では「卓越性・友愛・尊重」の三つの柱が
中心となっています。
あらゆる垣根を超えて心をつないでいる姿は、まさにその三つの言葉の象徴だと思いました。
東京2020オリンピックも、中盤になりました。
規制のある中ですが、力を発揮して悔いなく頑張って欲しいと思います。
また、このあと続くパラリンピックも、無事に開催され閉幕を迎えられることを祈ります。
夏が来ました
先週末、家の近くの公園で、セミが鳴き始めました。
今年も夏が来たんだな…と感じる瞬間です。
毎年、七夕過ぎになると、この公園ではセミが鳴き始めます。
同じ公園内で世代を繋いできたセミたちは、毎年同じ時期に一斉に鳴き始めるのでしょう。命が受け継がれて行くんだなぁ…と思うと、とても尊い気持ちになります。
樹木に生み付けられた卵たちは、一年かけて来年の初夏に孵化し、幼虫となり樹木を下り地中の中に入っていくと行くそうです。何年か前にその事を聞き、すぐに孵化しないことに驚いた記憶があります。
幾年かを地中の中で過ごし、そして再び地上に出てひと夏を生きるのです。
万古不易と言う言葉が思い出されます。「永遠に変わらないさま」を示す言葉ですね。人の日常から見たら、小さな世界かもしれません。が、そうやって彼らは、毎年、同じ頃、夏の到来を教えてくれるのです。
さて、大きな視点から見たとき、我々を取り巻く世界はどうでしょうか。変わらないままでしょうか。
例えば、身近なところで考えますと、近年の気候。この暑さや、驚くほどの突然の豪雨。台風の進路、前線の蛇行など。
情報や数値で表すよりも、確実に「気候変動」は進行しており、今の環境も、実は人間が感じるより早いスピードで変化しているのではないでしょうか。
本来の自然の姿や、元々の循環はどうだったのか。
大きな世界を容易に変化させられる文明を手に入れた人間は、そろそろ、その責任を負うリミットに立っているのかも知れません。
…この夏も、セミたちにとって、良い命の夏であって欲しいと願います。
熊本城
先月、熊本城の天守閣の内部が一般公開されました。
大変恐縮ですが、私はお城巡りがとても好きなので、熊本地震での「復興のシンボル」である天守閣の内部公開は、個人的にも喜ばしい出来事です。
熊本城は築城の名手、加藤清正公が手掛けた天下の名城で、「清正流の石垣」「武者返し」と言われたその石垣の勾配は、とても美しいと思います。
西南の役では、熊本城を拠点とした新政府軍に対し、薩摩軍の総攻撃が行われましたが、誰一人としてその侵入を許さず、その後50日間の籠城を耐え抜きました。明治の近代戦を制した熊本城に、西郷隆盛は「官軍に負けたのではない。清正公に負けたのだ」と言い残したそうです。
城内に「飯田丸五階櫓」と呼ばれる櫓があります。震災で辛うじて残った角石で支えられた姿は「奇跡の一本石垣」とニュースでも放映されました。
少しづつ、再建の手が加えられていますが、あの時の姿は、被災された熊本の皆さまや、目にした多くの人達に、大きな勇気を与えてくれたと思います。
…長いコロナ禍で、閉塞した日々の中。
いつまで耐えるのか、どこまで耐えなければならないのか、見当がつかない不安の毎日が続きます。
ですが、お城の強い土台があった様に、人の中にも強くて負けない根っこの部分が必ずあると思います。その強さを信じて、丁寧に毎日を過ごして行けたらと思います。